浜田城

別名-  付近住所 三重県四日市市鵜の森1 現在 鵜の森公園 
2010/1/11 碑・案内板アリ 日本城郭大系


田原氏  十六間四方白星兜鉢は、田原藤太秀郷にゆかりのあるものとして奉納されたと言われている。現在は鵜森神社で社宝として保存されているが、鉢は16枚の鉄板を矧ぎ合わせて半球状にかたどり、その四方には薄い鍍銀板を被せた形跡がみられる。
 かつて保管箱には「松平相模守 栗田右衛門尉寄進 万治2年1月吉日」と銘があり、また、袱紗の端には「因幡国住人馬淵源三郎」という縫文字もあったと言われている。
 鎌倉時代の特色が強く表されている作品である。
 浜田城は、室町時代の文明2年(1470)に田原孫太郎景信の三男田原美作守忠秀が築いたものである。その後、藤綱、元綱らがこの地を領したが、安土桃山時代の天正3年(1575)に織田信長の家臣滝川一益に攻められ落城したという。

    


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